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SNSだと流れてしまうので置き場を作りました

夢小説を「メタ・フィクション」として読む

はじめに

 夢小説とは創作小説の一種である。特に、女性向けのものを指すことが多く、版権キャラクターと創作キャラクター(夢主人公の略称・「夢主」と呼ばれることが多い)の交流が書かれる形式を取る。当初は『大好きなキャラクターと交流できる夢のような小説』として広まったと思われる。名前変換機能があることが特徴的なジャンルでもあり、読者は夢主の名前等を自由に変換することができる。しかし近年は名前変換機能を設けていない作品も夢小説として取り扱われる事もある。内容としては恋愛が多いが、友情など恋愛以外を題材にした作品もある。

 今回は夢小説をメタ・フィクション的に捉えることを提案し、その楽しさを布教していきたい。なお、この記事では二次創作の夢小説について取り扱うため、一次創作(オリジナル)の夢小説は除外する。ちなみに筆者は夢小説に関してはほぼ読み専である。

 

夢小説は「第三者のアーカイブ」である

 私が考える夢小説の魅力とは、作者がどんな形で原作に干渉したいかが最も伝わりやすい作品形態であることである。私は夢小説を読む際、作品をメタ・フィクション的に捉えることにしている。全ての夢主の行動を「原作世界の外側にいる人間がなんらかの意志・目的をもって、原作世界に干渉する行為」と定義し、膨大なアーカイブの一部を閲覧する感覚で楽しむのである。その認識のうちでは、夢主は作者が目的(原作キャラと恋愛したり、一緒に事件を解決したり)を遂行するにあたって、動かしやすいように作成された自身のアバター(分身。作者が自己投影しているか否かは問わない)である。つまり読者である私たちは、別世界から来訪者がアバターを用いて世界改変を行う、その一部始終を見届ける観測者ということになる。

 説明のみではわかりにくいと思うので、以下に具体例を数個示す。

 

その1. 原作シナリオ沿いの夢小説を第三者による時空干渉の記録として読む
完結せずに放置されている作品については、外部の人間が中途半端に干渉したことで本来の歴史の流れが損なわれたと勝手に憤ってみる。完結済み作品については、人の想いは世界すら書き換えるのかと感服する。など。

 

その2. 夢主の行動が世界にもたらすであろう弊害を考察する

夢主が世界改変を際限なく行った結果、世界が整合性を失って崩壊する結末を妄想する。「本件への介入は時空間航行者保護法8025条第三項によって禁止されています。速やかにこの時間軸から退去してください。」など、架空の警告文や取り締まり機関(『ドラえもん』作中に登場するタイムパトロールのようなもの)等を考えてみる。

 

 もちろんこれらは全て自分の脳内のできごとであり、単なる個人の解釈にすぎない。作者や他の読者に同意を求めるものでもない。あくまで楽しみ方の一つとして受け取って欲しい。

 

「メタ・フィクション」とは何か?

 さて、私はこのように他者の作品に自身の世界観を絡めて読み解く「遊び」に夢中になっているわけだが、そこには前述したように「メタ・フィクション」の存在がある。

 虚構の物語を描く際、筆者は誰かがその物語を逐一見ていることなどを物語上では認識させず、読者は物語に直接関わる事はできない。本来交わる事のない「虚構の世界」に、読者や筆者が存在する「現実の世界」を巻き込む物語を展開するのがメタ・フィクションである。(例:ゲームのキャラが「Aボタンを押してドアを開けてみて」と言って操作方法を教えてくれるなど。)ところで、私が最も影響を受けたメタ・フィクション作品は「シェルノサージュ」である。未プレイかつネタバレを避けるため詳しくは避けるが、この作品は「別世界に実際に存在している少女とプレイヤーが端末を用いて交流する」という内容である。夢小説を「作者が原作の世界へ夢主というアバターを用いて原作キャラと交流する」物と捉えるならば、夢小説もまたメタ・フィクション物といえるのではないだろうか。

 またメタ・フィクション派生した言葉として、「メタ発言」がある。これはメタ・フィクション発言の略であり、端的に説明すると「漫画・アニメ・ゲーム・小説などフィクションの登場人物が、本来作者や読者、または視聴者にしか知り得ない知識について発言をすること。」である。夢小説に限らず、小説は前書き・後書きなどに作者と作中キャラとの掛け合いが挿入されることがある。原作キャラが作者を認識し話しかける描写はまさしくメタ・フィクションといえるし、作者に向けられる「俺の出番を増やしてくれ」「お前は本当にギャグ物が好きだな」などのセリフは「メタ発言」といえる。

 

おわりに

 ここまで夢小説を時空間や世界干渉が絡むSF作品のように大仰に取り扱ってきたが、もっとライトに考えるならば今流行りの「VR(バーチャル・リアリティ)」の一種だと考えるのも面白い。夢小説という媒体を通すことで、私たち読者は原作世界に自身が入り込むという体験を疑似的に行うことが出来るのである。これは夢小説に限らず、全ての創作物にいえることかもしれない。誰かが書いた二次創作を読むことで、作者が原作に触れて得た感情・解釈などを追体験する、あるいは自身が共感できる点や差異を見つける楽しみがそこにはある。

 

雑記↓

 

夢主の適正身長を考えてみる

 夢主をこちらの世界の女性と仮定すると、適正身長は女性の平均身長つまり160cm前後ではないだろうか?原作世界や絡む相手が様々だから一概にこうとはいえないにしても、平均身長に設定すると読者の自己投影が容易であるし、しないにしても動いている姿を想像しやすいと思う。

 

作者より頭のいいキャラは描けない?

 たしかにそう思う。語彙や思考とかもキャラに追いつかせなきゃいけない。中高生女子がアラフォーの貴族男性を描写するなんて無理ゲーだ。さらに二次創作で作風も原作に沿うようにしようと思うと昔の自分は大変なことやってたなと思う。(※個人の感想です)

 創作は今まで触れてきた作品の量・質と知識と人生経験が問われる場だと思う。

 

夢主のメアリー・スー設定について

 メアリー・スーとは、二次創作において原作のキャラクター以上に活躍するオリジナルキャラクターを意味する。(二次創作内で理想化された原作キャラクターを指すこともあるが今回は取り扱わない。)作者の理想が過剰に投影されたオリキャラは、美形・無敵・不老不死・あらゆる原作キャラから好かれているなど、いわゆる厨二、俺TUEEEE設定であることが多い。病弱など逆のパターンもある。どちらにせよ作品から浮いている、原作を蔑ろにしていると、他の創作者から批判される傾向にある。そもそもメアリー・スー自体がネガティブな言葉である。

 しかし私は夢主がメアリー・スーであることは何らおかしいことではないと主張したい。まず夢主が置かれている状況を考えてみよう。夢主は多くの場合原作には影も形もなく、別世界の住人であることもよくある。人脈も何も無いその辺の一般人が、果たして完成された原作の世界に対して何かを為せるだろうか?

 筆者は異世界転移/転生物にはあまり明るくないが、彼らは何かしらの技術を持ち込むか、移動先で能力を発現させることによって主人公の地位を得ている。そうでなければ、主人公は移動先で何も為せずにひっそり一生を終えるか、最悪衣食住もままならず不幸な末路を辿ることになるだろう。

 以上より、夢主が過剰な能力を持っていてもそれは致し方ないことなのである。

 そして二次創作である以上、読者の違和感より作者が楽しめるかどうかの方が重要だと思う。…でも設定盛ったからにはできるだけ回収してほしい(超個人的意見)

 創作は引き算、というけど趣味でやるなら好き属性の全部乗せから始めて、経験積みつつ削ぎ方覚えてく方が楽しいと思う。キャラ贔屓や設定の矛盾があっても創作への愛を感じる作品が好き。推しは出番増やして愛でて闇堕ちさせるべきなんだ、うん。

 

小説を書くときにこれだけは気になるなと思った部分

  • 顔文字、記号(///や☆など)、ネットスラング(wなど)の使用
  • ×ゆう→〇いう
  • 漢字の誤変換
  • 口に出して違和感がある日本語(美味しい料理をできている、のように助詞の使い方が怪しかったりする文など)
  • 句読点が多すぎる、少なすぎる、使用箇所が不適切

 作者だって人間なのでミスがあって当たり前だし、三年前の文章読み返して恥ずかしすぎる誤字が見つかるとかあるあるなので…ただ、どこかに公開するなら最低限の文法は守った方がいい。なぜかというとそこで読者の集中力が切れてしまう可能性があるので。

 顔文字、記号は好みの問題かもしれないが、やはり幼く見えるのでシリアス系の創作をするときはあまりオススメしない。ちなみに筆者はネタ出しやSNSに短文を流す際に多用。台本形式(〇〇「台詞」)もネタ出しには便利だが、地の文が説明に終始して読者が置いてけぼりになる可能性があるのでそこは注意したい。

 

…歴史系夢小説?『暁の群像』はいいぞ。